江戸幕府の創始者
日本の武将、戦国大名
江戸幕府初代征夷大将軍
徳川家康
とくがわ いえやす
国を統一のため豊臣氏を滅ぼし天下統一
100年以上続いた戦乱の世を終わらせ
乱れた世の中を平和にしたとういう人物
また日本の平和を祈り日光東照宮を建立
して戦国時代に活躍した武将のひとり!
その徳川家康という人物を語る時
慎重で忍耐強く堅実的な人。
このような人柄は徳川家康が残した
“名言”や最後の言葉“辞世の句”に“詠歌”
のなかで伝わってくると思いますよ。
《名言》
■ 不自由を常と思えば不足なし
■ 得意絶頂のときこそ隙き
ができることを知れ
■ 己を責めて人を責めるな
そして!
《辞世の句》
※自分の死を目の前にしたとき詠む句
■ 嬉しやと 再び覚めて 一眠り
浮世の夢は 暁の空
もう思い残すことはないという句です。
また!
《詠歌》
徳川家康が詠んだ歌と言われている
■ 鳴かぬなら鳴くまで
待とうホトトギス
このよう名言や詠句に例えられるように
やはり慎重で我慢強い人物♪
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あれっ慎重!?
皆さん知ってましたか家康の死因
慎重な性格の徳川家康にしては…(汗)
しかも武勇に優れた健康マニアだった
家康もある病気には勝てませんでした
ということで「家康の死因」を紹介します
これは今までの中一番有力視されるもの
信じるか 信じないかは あなた次第です
(*^_^*)~☆
家康の死因と最期
徳川家康 享年75歳
人生50年と言われていた当時にしては
かなりの長寿だったと思われます。
死因は胃がん。
かつては「鯛の天ぷら」で食中毒で死亡
しかしこの可能性は研究の結果は低い
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⚫胃がん説が有力視
『徳川実紀』の江戸幕府の公式記録では
当時に残る家康の症状が胃がんと合致
○ みるみるうちに痩せた
○ 吐血や黒色便がでた
○ 腹を触ると大きなシコリ
この症状は胃がんの可能性が高いんです
かつての日本のがんの死亡数のなかで
一番多かったのが胃がんだったそうです
それは飲水の中のピロリ菌が原因です。
(・_・)
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⚫健康オタクがなぜ
重度の健康オタクで質素倹約の家康
武将や大名にしては質素で食事で
“玄米・漬け物・みそ汁・焼き魚”
庶民からすれば贅沢な品揃え!
しかも体に良い健康的な食事なのですが
じつは!
「塩分の多い食事」
とくに“お新香”好きだった家康
みそ汁もこだわりがあり食事全体に
占める塩分の割合が高かったそうで
塩分の多い食事を続けていたのが原因
そうです塩分の高い食事を続けると!
胃がんのリスクのひとつ。
現代でも関東地方の味付けが濃いのも
徳川家康のなごりと言われています。
゚(´・ω・`)ショボーン。
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⚫ 死の直前は!?
鷹狩りに出かけそこで突然倒れて
約3ヶ月後に息を引きとった家康!
布団で最期を迎えるとき家康は
すでに虫の息の状態であるなか
家臣たちは静かに看取ろうとした瞬間
急に立ち上がり!
罪人を切るように命じ
刀を振り回し
己の剣で我が子孫を守ると叫び
その後、布団に倒れて亡くなりました。
珍しく荒々しい姿でしたが偉大さを
家臣たちに見せこの世を去ったのかも
元和2年4月17日 巳の刻
居城の駿府城にて
生涯の幕を下ろしました…。
(´;ω;`)
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まとめ
いかがでしたか?徳川家康の死因!
戦国時代はもちろん井戸水だったので
ピロリ菌に感染する人が多くこれが!
胃がんを発症する可能性が高かった
また他の多くの武将たちも胃がんで
亡くなっているそうです・・・(涙)
天下統一を成し遂げた戦国武将でも
病気には勝てませんでした…。
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最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
徳川家康