日本のプロ野球界を牽引する、巨人軍の坂本勇人選手

今や12球団を代表する内野手ですね☆

攻・走・守3拍子そろった選手で、しかもイケメン♡

そして坂本勇人選手、元号が変わってから初めての試合で、

12球団の中で1番にホームランを記録しました!

すごい記録ですよね♪

今回はそんな坂本勇人選手の、

令和初の素晴らしい記録やプロフィール学生時代について調査しました^^

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= 坂本勇人が『令和第1号HR』を記録!=

元号が『平成』から『令和』へと変わった、2019年5月1日。

この日行われたプロ野球の試合では、様々な『令和初』の記録が生まれました!

数多くの記録が生まれる中で坂本勇人選手は、『令和第1号ホームラン』を記録☆

ずっと記録、記憶に残る記念の『令和1号アーチ』を放ちました!

ちなみに『平成第1号ホームラン』がまたまたビックリ!

なんと、巨人軍・原辰徳監督だったのですΣ(゚Д゚)

1989年4月8日、ヤクルトとの開幕戦でのホームランでした。

『平成』では原辰徳『令和』では坂本勇人

巨人軍の中からメモリアルアーチが飛び出していることになりますね。

なにかすごく不思議な縁を感じますね・・・(゚д゚)!

次からは、そんな素晴らしい記録を樹立した坂本勇人選手を

詳しくご紹介していきます^^

= 坂本勇人プロフィール =

生年月日:1988年12月14日(30歳)

出身地:兵庫県伊丹市

血液型:AB型

身長:186cm

体重:83kg

所属チーム:読売ジャイアンツ

= 坂本勇人の小学校時代=

坂本勇人選手は小学校の頃、

少年野球チーム「昆陽里タイガース」に所属していました。

その頃からプロ野球選手を夢みて頑張っていたそうです♪

そしてこのときチームメイトだった有名な人物・・・

そうです!現在メジャーで活躍中の

「マー君」こと「田中将大投手」と同じチームだったのです(´゚д゚`)

当時は、ピッチャー坂本!キャッチャー田中!として、

2人はバッテリーを組んでいたそう。

2人ともポジションが今と違うのですね・・・!

いろいろとまさかすぎて驚きですよね(@_@)

= 坂本勇人の中学生時代 =

坂本勇人選手の進学した中学校は、『伊丹市立松崎中学校』

田中将大選手とは同じ学校へ進学したので同級生でしたが、

2人とも学校の野球部には入らず・・・。

坂本勇人選手は、「伊丹シニア」

田中将大投手は、「宝塚ボーイズ」という、

それぞれ別々の硬式野球チームに入り、活動していたそうです!

2人はここで別れてしまったのですね(>_<)

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= 坂本勇人の高校時代 =

坂本勇人選手は中学卒業後、

青森県の名門!『光星学院(現・八戸学院光星)』へ進学。

高校時代は、不動の4番!ショート!として活躍していました!

東北大会では8割強高校通算39本のホームランを記録するなど、

個人では素晴らしい成績を残していた坂本勇人選手。

しかしチームとしては当時、甲子園出場は春の選抜の1回だけ・・・。

全国的に名前を残すことはできませんでした(._.)

= 2006年ドラフト会議で巨人へ入団 =

この年のドラフト会議で巨人は、のちに中日ドラゴンズで活躍する、

「堂上直倫選手」を1位に指名!

巨人・中日・阪神の3チームが指名しました。

抽選の結果、交渉権は中日が獲得。

そこで改めて1位指名したのが、坂本勇人選手でした!

ハズレ1位という形で巨人が交渉権を獲得します。

そして同じ年の11月5日、晴れて巨人軍と契約☆

当初つけていた背番号は「61」でした。

2009年からは、期待から背番号を「6」に変更!

現在までに、多くの素晴らしい成績を残しています♪

= 最年少で巨人軍の主将に!=

坂本勇人選手は阿部慎之助選手の後を引き継ぎ、

2015年から新キャプテンに就任!

このとき坂本勇人選手は26歳でした。

巨人軍としては、戦後最年少の主将が誕生(・・;)

第19代主将として、巨人軍のチームを引っ張っていく中心選手となったわけですね!

坂本勇人選手の天才ぶりが伺えます!

実力もかなりのものですが、長嶋茂雄さん原辰徳監督のように、

実力以外にスター性のある選手だと思いますね☆

だからこそ『令和第1号HR』という、メモリアルアーチを打てたのでしょうね^^

= まとめ =

坂本勇人選手のプロフィールについてご紹介しました!

いかがでしたか?

男性女性問わず大人気の坂本勇人選手

『令和』でも、素晴らしい活躍に期待したいですね☆

これからも頑張ってほしいです^^

最後までお読みいただきありがとうございました!・・・カキーン☆ミ

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